布川事件

布川事件は、1967年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で、独り暮らしの男性(62歳)が自宅8畳間において死体で発見され、桜井昌司さん(当時20歳)と杉山卓男さん(当時21歳)が別件逮捕され、厳しい取り調べによりウソの自白に追い込まれ、強盗殺人罪で起訴され、無期懲役の刑を科された事件です。犯行時刻には実兄と飲んでいた桜井昌司さんと同行していた杉山卓男さんが別件逮捕され、無期懲役を言い渡されました。

 

無実の罪で29年間もの獄中生活を強いられた2人は獄中で無罪を叫び続け、1996年11月に仮出所。2001年12月6日、水戸地裁土浦支部に2回目の再審請求を申し立てた。同支部は、弁護側の請求に応じ、非公開での証人尋問など事実調べを行った。その結果、自白の枢要部分である殺害方法が、実際の死体の客観的状況と矛盾する、自白はさまざまな点で変遷しており、捜査官の誘導に迎合した供述と疑われる点が多数存在する、目撃証言には捜査官の暗示、誘導の可能性があり、信用性に疑問がある、などとして、2005年9月21日に再審開始を決定した。
 
東京高裁も、2人の自白の信用性は認められないなどとして、検察側の即時抗告を棄却し、再審開始を支持。検察側は特別抗告して争ったが、2009年12月14日、最高裁はこれを棄却し、再審開始が確定しました。

 

再審公判は、2010年7月9日に水戸地裁土浦支部で開始。6回の公判を経て、同支部は2011年5月30日、目撃証言は信用性に欠ける、2人の自白は信用性がなく、任意性にも疑問がある、2人のアリバイを虚偽とする証拠はない、などとして、無罪としました。検察側は、「控訴審で新たな立証をするのは困難」として控訴を断念し、無罪判決が確定しています。

 

桜井さんは、無罪確定後の2012年11月、違法な取調べや証拠隠しがあったとして、国と茨城県を相手取り、総額約1億9000万円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こしました。一方、杉山さんは「妻や息子と過ごす時間を犠牲にしてまで、いつ終わるかもわからない、長い長い裁判を、私は闘う気持ちになれない」として、国賠訴訟には加わらなかった。杉山さんは残念ながら、2015年10月27日に死亡。心臓病を患っていました。

 

このページは桜井さんの国家賠償請求訴訟を支援する会のホームページです。

 

 

布川事件再審裁判で無罪判決

水戸地方裁判所土浦支部は2011年5月23日、茨城・布川事件の再審裁判で桜井昌司さんと杉山卓男さんに無罪の判決をだしました。

 

布川事件は、1967年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で、独り暮らしの男性(62歳)が自宅8畳間において死体で発見され、桜井昌司さん(当時20歳)と杉山卓男さん(当時21歳)が別件逮捕され、厳しい取り調べによりウソの自白に追い込まれ、強盗殺人罪で起訴され、無期懲役の刑を科された事件です。
布川事件は、国民救援会が40年近く支援してきた事件であるとともに、戦後死刑・無期懲役という重罪事件で再審を勝ち取った7番目の事件です(免田・財田川・松山・島田・梅田・足利の6事件に続いての再審無罪)。
また、布川事件は、別件逮捕に始まり、脅し、偽計、誘導による自白と証言の強要、さらには証拠の捏造から公判での偽証など、捜査機関があらゆる手段を駆使した「えん罪のデパート」とよばれた違法捜査の連鎖によって無実の者を有罪に追い込んだ事件です。
 
(国民救援会 愛媛県本部ホームページより)

国家賠償請求訴訟を闘う理由。

国家賠償法は、公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意過失によって違法に他人に損害を与えたときは、国または公共団体が賠償する責任があることを規定しています。(国家賠償法1条)
 

冤罪・布川事件で、桜井さんは無実なのにもかかわらず有罪とされ、29年間もの間塀の中の生活を余儀なくされ、普通の生活をしていれば得られたはずの利益を奪われるなどの損害を受けました。これは、警察や検察が、捜査・起訴・公判全体にわたって、故意にあるいは過失で、例えば、捜査のときに桜井さんに嘘や脅しを使って、虚偽の自白をさせたり、記憶のはっきりしない証人から都合のいいように目撃証言調書を作ったり、都合の悪い証拠を公判中ずっと隠したりの違法行為をしたために生じた損害です。この損害の賠償を国(検察官)と県(警察)に求めているのが今回の国賠裁判です。
 

桜井さんは、国賠裁判を起こした動機を、支援する会の結成総会で次のように言っています。
「冤罪が次々明らかになるようになった今も警察や検察、裁判所は何も変わっていない。冤罪が作られる原因を取り除くには、国賠しかないと思った」「今も自分たちを犯人だと言い続ける検察に『申し訳なかった』と言わせたい」と。